2014年7月31日木曜日

酷暑

あつすぎて
持ってた手拭い
あたまにまいた



五七調になってしまった。

(見た目はヒョットコかドジョウすくいになってしまった)



炎天下のなか、ひなたで仕事されてるんだな。

敬服
アチャール食べたくなる

漬けるか〜

2014年7月30日水曜日

決めた 豆太

今後、表現活動は

豆太(まめた)

としてやっていきます。

2014年7月25日金曜日

好対称

午前2時、こんな夜中にも家の上を飛行訓練…

(うちの前にジープが停まる日も近いか)


午前2時、おれはトレイントレインうたってるよ!


どっちも近所迷惑だね!

2014年7月18日金曜日

根底

あいいれなくとも
意見がわかれても
喧嘩しようと


根底に愛


愛とは

その命が燃えていることに

感謝できること


この尊い一生涯のなかで(生まれ変わることがあろうとなかろうと)

出会ったこと
関わりあったことに

意味を感じること




すべての国が戦闘機、兵器という不必要な殺人玩具をつくる労力と財産を、壊れていくこの世界の再建に託せたら。




戦うべきは「国」ではない、何度でも。

Massage from Chaplin /74年前からの手紙

https://www.youtube.com/watch?v=RzTmkoR6mMQ
日本語訳

https://www.youtube.com/watch?v=QcvjoWOwnn4
原版

2014年7月12日土曜日

最近

気づいたらFacebookの方がオフィシャル化してしまってブログがプライベートな感じに、、

なかなか思ったバランスにはならないなぁ


最近河原では自衛隊の飛行訓練が以前よりだいぶ増えた感じ。(入間基地かな?)


やる気ですかやめてよね。あれか、戦になったら笑顔がプリティすぎる仲良しの中華屋のおっさんとも戦わなきゃいけんのか。。


今はネットすらできない携帯からなので無理ですが、後でチャップリンのスピーチをアップしようと思ってます。

戦うべきはどこかの国でもだれか政治家でもなく、今世紀までに育ちすぎた魂を毒するすべての感情。




最近、某Pよし君ライブで「中央線」がセットリストに入るのですが、それをきっかけにthe Boomと宮沢和史さんに興味を持って、CDききあさってます。(ブック○フさんで集めたので7枚買っても二千円いかず、、中古では著作料が支払われないので感謝を込めてブームに個人献金したい気持ち)

意外なのが、デビュ
ー時から、かなりプロテスト(抗議)性が強かったこと。

多くのアルバムに、一義的な日本の教育(心の殺傷)、戦争、核、無思考への傾注がパッケージされている。


「風になりたい」が好きです。



あとはかむあそうトライブスの「薪師財団」も最高。


扉も屋根もないような、開放的な音楽が好きなんですよな。

2014年7月10日木曜日

2014年7月9日水曜日

2014年7月7日月曜日

せっせっせーーーの

セミが鳴き始めたよーーーーーーーーーー

2014年7月4日金曜日

平和な時間

じゃれあって
けんかして
なかなおりして

それくらいがいちばん平和なんだろうな


国って分け方ももう終わりにしてほしい。

国家戦争なんて親に言われて隣の子供どおしが殺しあいするってことだよ。


ほんと、親通しで決着してよ!

平和と保身は違う

きのうの日記につづくが

「あべはやめろ」

あのコールがずっとひっかかってて。

あれは言葉の暴力だ。

「じゃあ、彼のやってることも政治による暴力」そんなことはここでは関係ない。


むしろ暴力に暴力で抗う姿こそ、みんなが最も望まない未来の、反対といってるものごとの、発端じゃないのか。


心から平和を願うなら、自らの暴力をまずストップさせること。


あのコールの正体(本質、という表現の方が善いか)はいったいなんなのだろう。


暴力に頼って築かれる平和、それは所詮カリソメだ。



実家に帰ると、
うちの母が
「ひげをそりなさい」 「タイパンツは周りの人に失礼だからやめなさい」 「きたない髪型、恥ずかしいから美容院で切ってきなさい」

と、もうこのやりとりが10年近くも続いてるが、まぁ厭きもせずいまだにぶつくさ言われる。


家族みたいな距離でこの決着のつかなさなのを思う
と、

戦争など無くならない気がする。


人間は欲が深すぎる。

2014年7月3日木曜日

こども を みつめる

大人たち


こどもを みつめてください

自分の そして目の前の人の なかにある こどもを 見つめてください

そこにいない訳がない

どっかの大学教授だって
会社員の人だって
八百屋さんだって
両親だって
どこかの国の大統領だって

みんな心にこどもが生きている

学校にいかなくなっても朝から晩まではたらいてても
つきたくない嘘をつく日々にいても

みんなのこどもは心にいきている

何かあったとき
おおわらいしたり
ひとりでしくしく泣いてたりする
(そして、それを埋め合わせてくれる誰かや何かにすがったりもする)

そして好き嫌いも思いやりもある


それを「言いたいけど、場の空気読んでやめとこう」や「大人なのにカッコ悪い」で押し込めるんじゃなくて、

とことん伝えあって他人と着地点を見つけてく想像力としなやかさを持っている


のが大人なんじゃないかと思う。


人を打ち負かす頭や、権力や財布だけ「大」きくなっても

「人」からは遠ざかっていく、ラブリーじゃない


みんな生まれて死ぬまでこどもだ

親になってもこどもなのだ

祖父母になっても歴史的偉人になったとしても大統領になったとしても

人はやはりこどもなのだ



例えば官邸前にいくなら、

「あべはやめろ」

と僕は言いたくない。

彼の気持ちとよりそうなら
「あべ君、大丈夫だよ」「あべくん、でてきて」「もっと自由な身分になって、飲み屋でグチ聞かせてよ」

と呼びかけたかった。

あべさんに民意を聞く耳を貸さなくさせたいちばんの理由は、

孤独だと思う。


言葉をこねくりまわして厄介な法案をつくらせたのも、石投げて、孤独においやったのも、まわりだと思う。

あべさんを動かしてるのはあべさんじゃないと思う。

だから、ぼくらから怒りで彼
を突き放すのはもうやめませんか。


と、いうことで、
みんなのこどもを

月一からでもいいから解放していこうよ!

そしてだれかと困ったことがあったときは、お互いの「心のこども」を愛すること。孤独にさせないこと。



ま、現実は言うよりは難しいけどね!



怒りにまかせて、良いこともあるのかどうかは今勉強中。

2014年7月2日水曜日

「ゲームはやりたい人たちで」と、言い離せる世界にするには?

人の恐怖感をお金儲けにつなげるのが、
20世紀以降の第一次産業か?


恐怖心の悪用。
(編:最初、「畏怖心」と書いてましたが「畏怖」は恐怖に敬意が伴ってる状態とのことで、ここにはあてはまりませんでした)


命を軽視する時代は、誰の手に転がされてるのか。



「人間の命こそ生き物の命の中で、最も尊い」と思い始めた時点から
命はものさしではかられるようになった?


もしかしたら冷凍パックにぎゅう詰めされてる肉たちに、
「今の」ぼくたちの姿があるのかもしれない。


様々なものごとから恐れを取り払っていく
金や、誰かの利益の息のかかった不当な情報に操作されずに、身のふりを見極める判断こそ、
大事な作業になると思っている。


これは、生活でも言える。


本質を見極める力を、生きている限り磨いていくこと。


この世界の流れの中心は、いま、それがなされているとは思えない。


一部の人たちが笑い、そのために当然のようにたくさんの人たちが生き方や命さえ奪われている。


それとも、増え過ぎた生物種の本能的な集団行動でしょうか。



戦争ゲームに加担するくらいなら、喜んで牢獄に転居します。


(人知れぬ森の奥の方が良さそうだけど。)