2013年8月19日月曜日

今日もたくさんのことをわすれた。

昨日は、涼風クインテットと暦ハーブ@目黒・楽屋に出演。
おひさまのようなゆっこさんの声。いつものサウンド部隊(ゆみさん、ゆうすけさんと僕)に、
軽やかに走り抜けていくのりたけさんのアタックは、秋風のようだ。

たえこはなざきのイマジネーションと、ゆみさんの音世界、日本の七十二候のチャンプルーからこの一期一会のためだけに産まれた香りたちと、ミドリの生き物たち。。五感すべてが彩られていった目黒の午後でした。


帰りに、たえこさんから香りのお裾分けをいただく。会場で役目を終えた、脱脂綿たちで十分幸せだったのに。。素敵なプレゼント。



// ゆみさんの涼風こおひい店という曲、七十二候の「涼風至」にちなんでたえこさんがブレンドしたアロマミスト。 //


ぼくの部屋の、一つの窓のカーテンは水色のクロスなので(好きな色の布をひっかけてるだけ)、なんだかぴったりだ。

ありがとうたえこさん。





そして、ここからはこのライブへ向けての創作に専念。


相方の田中泰之氏のつくってくれた、愛あるフライヤー!



ぼくは29日の谷向柚美さんを招いてのライブの制作担当、作曲しまくっております。



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重ねたヤス兄との天満での打ち合わせ、という名前の呑み会。。。

これ、接待費でおちんかなぁって真剣に考えるほど。。(って、僕おごってもらってばっかりなんですけど。。)

そして最後の夜に聞こえた地平

野外バーでのテキーラショットの射ち合いによるまろやかなサドンデスと、メキシコ回転焼鶏を経て、神様がヤス氏を通して告げてくださった祝詞。

「ダカラ・モウ・オンガクノホンシツシカナイネン!!!」

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※フィンランド人の友達の名前ではありません



これが、今回うまれるぼくのSong達の核です。

ぼくの考えるおんがくのほんしつとは何か、ライブのほんしつとはなにか、それは8月29日の夜の天満で感じていただけたら、と思います。






ああ、朝が来た。



今日もたくさんのことを見て感じて、たくさんのことを忘れた。


五感と記憶は捨てても忘れても、ゴミにならないからいいなぁ。

忘れられた記憶のエーテル、いまごろどこにただよっているんだろうか。

まだ遠くない気がする。




空も明るんで、灯りに集まる虫も入ってこなくなっただろう、窓をあけて、ブログをとじるとしよう。










2013年8月17日土曜日

椰子の実による考察




友人(と呼ぶのが許されるのかはわからない畏れ多き歌い屋さん、だがぼくはそう思っている)のFacebookで、下記の方のブログが紹介されているのを見て
感じるところあり、コメントしようと思ったら長くなったので、こっちに書いてみた。


http://janesuisjapanese.blogspot.jp/2013/08/vol13.html
Vol.13 東京生まれ東京育ちが地方出身者から授かる恩恵と浴びる毒 ~前篇~



東京出身者ではないけれど、、

土や暮らしに根ざしていない「Tokyo」を追いかける視線は、すこしあつくるしく感じる。
正直、もう旧いな、とも思う。   




そして都内の其処個々に点在する、古い(好くくたびれた)町並みや、長く残る自然などからするものを感じて、歩いて廻るのが好きだ。

それはどの土地へ行ってもそうなのだけど。






自分も地元に愛があるように、そこに、自分の育った足下を愛しんでいる人たちを見ると、その土地の空気からも愛されてるのを感じる。溶けあってるというか。
サウンドしてる。そこに協和音が流れてる。



そして浮き足だって足下の土を見ない「Tokyo」フォロワーから聞こえてくるのは、概ね潰しあいすぐ泡と消えるようなクラスターばかり。



しかし情報と産業の集積地はそろそろ「インターネット」という場所に移設完了されて、
これからもっと皆、自分の育った足下に根ざしていくのではないかなと思っている。

もう旧いなと思うのは、そういうことから。




あくまで自分の見てきた狭い、でも抱えきれないくらい広いけど、世界のみからの考察ですが。




「Tokyo」を追いかけてきたのではなく、縁あり流れ流れて「ここ」にいる椰子の実です。





P.S
あと、僕の周りで、東京に遠征ライブするのを「江戸へ〜」という人が大分ふえてきたのだけど、
なんとなく響きが差別的にきこえることがふえてきたので、これからこれを参考にしていこうと思う。

http://www.otomiya.com/shop/faq/map.html




今月末も播磨藩に帰ります。






日々。



・夏になってから、二度、コウモリの埋葬をする。

一匹目は気づいたら、ある人から土産用にもたされた手提げカバンに入ってて、最初はひからびた干し柿(変な表現だが)のヘタかなにかかと思った。
(同居の相方に聞くと、昔飼ったことがあったそうで、コウモリと確認)

二匹目は網戸にはりついていた。


小さな彼らは調べてみると多分、アブラコウモリという者達で、「コウモリ」のイメージとはほど遠い、愛嬌のあるそして平和な顔をしていた。

コウモリといえば不幸や闇を連想させるが、もっとあたたかいものを感じたし、出会えてよかった気さえする。


茂りはじめた、そして二匹目はよく茂るようになった、河原の草むらに土葬する。




・生まれてはじめて、頭にフンを落とされる。


小さなころ、地元の動物ふれあい体験コーナーで、ひよこを触ったことがある。

かわいいひよこは自分の手のひらにのるなり、鼻水のようなフンを落とした。



昨日、駅のスーパーで買い物をして自転車にのろうとしたら、晴れ空から頭に何か落ちてきた。

髪を触ってみると、すこし白のまじった液体。

家路だったこともあったか、悪い気はしなかった。

嬉しいようなせつないような、穏やかなようで小さくさざめく波のような気持の初体験であった。



ちなみに、嬉しいというのは、ぼくの友達で(本人いわく)しょっちゅう頭にフンを落とされる人がいて、

きっと鳥はフンを落とす人を選んでると思うからだ。

予想と空想に過ぎないかもしれないけど、その条件は「安心感」だと思う。

「この人の上に、フンが落とせば、きっと何か良いことになる」

「この髪の上にフンが落ちたら、きっときれいな画を描く」

「なんだか見てるだけで安心する、便意がしてきた」

「きっとこの人は恨んだりしないだろう、むしろぼくに気づいてポッポ」


鳥達はそんなことを考えているのではないか、と思えて、彼らの「安心感のある人」ラインに立てたような気がして、

すこし誇らしいのだ。